猛擬餌列伝






GAMBLER スタッド 5in

平成11年(1999)8月11日 猛擬餌入


55.5pを筆頭に、数々の50overを討ち取りし名擬餌。
特に平成8年(1996)〜11年(1999)長州夏の陣での働きは目覚しく、岩盤、バックウォーターでは向かうところ敵なしの戦いぶりを見せた。
クリアウォーターに於いて「その一投」で全てが決する時、懐にネイルシンカーを抱き、縦ストに舞い降りるその様は「勝負師」の名に相応しい。
平成12年(2000)以降、重量系ノーシンカーワームの台頭により、ヤマセンコー(通称センちゃん)にその座を譲り、悠々自適の隠居。








KEITECHラバージグModelT

平成15年(2003)5月15日 猛擬餌入り

葦、倒木、オダ、浮きゴミ、多種多様な敵陣に音もなく忍び込み、兜首に口を使わす巧の将。その忍技は勿論だが、十重二十重に張り巡らされた防柵を一撃で突破する破壊力も兼ね備えた剛の者でもある。妙音黒鱒史上、特に遠征軍に於いて、45overの討ち取り数最多。
平成15年(2003)5月15日、54pの大将首を討ち取ったことにより猛擬餌に名を連ねることとなったが、その後の平成18年(2006)11月4日、TBC利根川プラにて師匠板坂に闘魂注入された彼は、後継のモグラジグとともに底無し沼≠ニいう荒技を確立し、防柵外での戦においても無類の強さを発揮。まさに猛将の名に相応しい活躍を続けている。








Garyヤマセンコー 4in

平成16年(2004)1月1日 猛擬餌入り

もはや多くを語るまでもなく、帝釈無二の懐刀。
平成10年(1998)長州夏の陣に於いて、ZENJIN明星が使用したあたりからZENJIN史の表舞台に登場する。
約2年後、帝釈の手によって熟成され、“センちゃん”としてZENJIN衆に定着、醍婆がその正統後継者となる。(醍婆の生涯キャスト数の98%はセンちゃんである)
あらゆる戦場で活躍するその変幻自在な戦いぶりは、帝釈をして「伝家の宝刀」と言わしめた。
その類稀なる潜在能力は、センちゃん改01、改02、改03へと進化。益々その勢いを増し、衰えることはない。
生涯黒鱒200首達成として堂々の猛擬餌入り。








ディプシーDo 3

平成16年(2004)4月15日 猛擬餌入り

マッディーシャロー系の戦場に於いて、疾風迅雷の速さで敵陣を駆け抜ける名擬餌。そのタイトなウォブリングと控えめなラトル音で黒鱒を誘い、雷電の如く討ち取る力は帝釈の信頼も厚い。
長年の実績と、平成16年4月(2004)将監の陣にて、防杭に潜む黒鱒を次々に絡め獲り、トドメとしてコイまでも討ち取ったことにより猛擬餌入りを果たしたが、彼の本領はやはり防柵外で展開される野戦であろう。
平成15年(2003)6月の八郎合戦に於いて、僅か20数投で15尾の黒鱒を討ち取るという電光石火の離技を披露。
ちなみにこのカラーはZENJIN鍵により見出された。








L&Sプロップベイト 本山Ver

平成16年(2004)9月16日 猛擬餌入り

僅か2度の出陣で猛擬餌に名を連ねた暁将。
平成16年(2004)5月20日、桧原湖で初陣を飾り、その恐るべきプロップの回転力に度肝を抜かれた帝釈は、即座に水面系擬餌旗本衆に大抜擢。
旗本衆昇進僅か4ヵ月後の同年9月16日、難局を極めた桧原湖の陣に於いて、ZENJIN医和の仲介により、この擬餌の開発者である本山博之公より直々のご指導を仰ぎ、公の目の前で【小口黒鱒日本記録(2005年10月現在)】となる53.5pの総大将首を見事討ち取り、日ノ本小口黒鱒史上にその名を刻みつけた。








02侍スペシャル(仮名)

平成17年(2005)10月6日 猛擬餌入り

“02の後はペンペン草も生えない”
対峙する全てのZENJINを恐怖のズンドコに叩き落し、『第六天魔王』の異名をとった戦慄の猛擬餌。
構想20余年の時を経て、濁水系防柵中層戦略のスペシャリストとして帝釈が生み出した至宝は、初め〔センちゃん改02〕と号しヤマセンコーをその原型としたが、様々な遺伝子が組み込まれ、その進化は加速していく。
平成17年(2005)5月1日、醍婆との将監川決戦に於いて12対1の圧勝で初陣を飾り、同13日の小黒鱒城杯では5945gのBIGウエイトを記録。同年10月八郎潟秋の陣に於いては、朝靄の中1750gを筆頭に、瞬く間に7尾の兜首を絡め獲り、5尾7200g捕獲という快挙を成し遂げ、同陣の文殊を震え上がらせた。
初陣から半年を待たずして猛擬餌にその名を刻んだが、真の02伝説は未だ序曲なのかもしれない。




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