柿崎和泉守景家
(通称:帝釈)
生年月日 | 永禄12年2月26日 |
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職業 | 僧侶・武士 |
出身 | 長門国山陽厚狭 |
住居 | 下総国 |
信条理念 | 生涯先陣、生涯末席 |
趣味 | 黒鱒釣り、祈る事 |
趣向雅楽 | 岩石雅楽全般 |
趣向食物 | 寿司、ケロッグ(虎)、カプリコ苺 |
崇拝大名 | 上杉謙信公、加藤清正公 |
城主ご挨拶
思い起こさば慶長8年、それがしにも彼女御がおりましてのぅ。その彼女御が機器凡人のそれがしに「電脳を扱い、さらなる精進を」と勧めおった。元来無骨無粋なそれがしで御座れば、電脳など雲の上の話と思うておったが、再三にわたる勧めもあり臆しながらも電脳購入に踏みきった次第に御座る。
時を経て、いよいよ一国一城の主を目指すべく一念発起し築城を決意。数多くの武器、弾薬、絵図面などの調達に東奔西走致した。
されど慶長9年2月、極寒の日じゃった。突如彼女御は、遠く西南蛮のそのまた先の遠国に旅立ってしもうたので御座る。まぁ~世間では「フラれた」とも申しまするがの。
ゆえに築城は志半ばにて頓挫。それ以来、各種武器弾薬は蔵の中に眠ったままになってしもうた、なにせ扱い方がよう分かりませなんだでの(笑)
しかしながら彼女御の御威光でもあった電脳人への挑戦、さらにはこの乱世を生き抜く為の己が武器とするべく再び電脳と向き合うことを決意。多くの諸侯の皆々様方にご協力を頂きながら落成致しましたる城がこの“ご隠居だよ 黒鱒城!!”に御座いまする。堀も浅く、石垣も低い。されど、我が城は戦う為の城にあらず。身分の分け隔てなく己らしく暮らせる「優和の城」に御座る。
小さき城とは申せ、一応、城中御掟なるものも御座いますれば是非に目を通して頂きたく。互いに心潤うひとときの為の法度で御座れば、何卒よしなに御願い申し上げ奉りまする。
ではでは、まず一献。